大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)5269号 判決 1969年4月16日

原告

加藤行雄

ほか三名

代理人

辻亨

ほか一名

被告

森正夫

代理人

山登健二

被告

山形県

代理人

設楽作已

ほか一名

主文

被告らは連帯して、原告加藤行雄・同信恵に対し、各三一四万五〇〇〇円および内金二九一万五〇〇〇円に対する昭和四一年八月八日から、内金二三万円に対する昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭、原告阿部誠に対し六一四万八六四〇円および内金五六九万八六四〇円に対する昭和四一年八月八日から、内金四五万円に対する昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭、原告阿部利子に対し三三万円および内金三〇万円に対する昭和四一年八月八日から、内金三万円に対する昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの、その余を被告らの各連帯負担とする。

この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

一、当事者の求める裁判

原告ら―「被告らは連帯して、原告加藤行雄、同加藤信恵に対し各六四二万八一六五円および内金五九一万八一六五円に対する昭和四一年八月八日から、内金五九万円に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭、原告阿部誠に対し六八二万三八〇三円および内金六二〇万三八〇三円に対する昭和四一年八月八日から、内金六二万円に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭、原告阿部利子に対し一一〇万円および内金一〇〇万円に対する昭和四一年八月八日から、内金一〇万円に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

被告ら―「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

二、原告ら主張原因

(一)  死亡・傷害交通事故の発生

昭和四一年八月七日午後六時頃、山形県鶴岡市大字友江は一丁目二番地先の県道(以下本件県道という。)において、原告阿部誠が訴外亡加藤晴由を同乗させて自動二輪車(以下原告車という。)を運転し、大山方面から鶴岡方面にむけて進行中、被告森正夫が運転する小型乗用車(練馬五ね二八一四号、以下被告車という。)に後方から追突され、よつて原告阿部誠は、後頭部陥没骨折、硬膜外血腫等の頭部外傷をうけ、前記加藤晴由は即死した。

(二)  事故原因(被告森および訴外矢作英明の各過失)

(1)  本件事故発生現場の状況 本件県道は、巾七米のうち6.1米は舗装され、路面は平坦であり、両側にはいゆるU字溝が設けられているが、事故発生現場から大山方面にむかつて約三〇〇米位は、直線で見とおしがよく、鶴岡方面にむかつて約一〇〇米位の間(この区間に後記安丹橋が設けられている)も直線であり、その東方はゆるやかなカーブをなしているものの、全体として見とおしは良好で、最高速度につき指定制限はない。なお鶴岡方面にむかつて道路右端に農家がある。

(2)  関係車両の各行動

(イ) 原告車の行動 原告阿部誠は大山方面から鶴岡方面にむけて原告車を運転し、制限時速内で県道の左側部分を進行していた。

(ロ) 被告車の行動 被告森は被告車を運転し、時速六〇粁位で大山方面から鶴岡方面にむけて進行中、前方を同方向に進行中の原告車をみとめ、これを追い越そうと考え、前記農家の手前附近から、被告車の車体の一部を道路の中央部よりも右側にはみ出すような状態で追い越しはじめていたところ、後記のとおり訴外矢作英明運転の白バイが前記農家の蔭から突如高速で進出してきたため、これを避けようとして左方に転把し、急制動措置を採つたが及ばず、原告車に後方から追突し、その衝撃により原告車を安丹橋のコンクリート製欄干に衝突させた。

(ハ) 訴外矢作英明の行動 同訴外人は山形県警察官で同県警交通機動隊庄内分駐隊に勤務するものであるが、そのいわゆる白バイ(以下本件白バイという。)に搭乗運転し速度違反車を取締摘発しようとしていたところ、前記農家の蔭で待機し、被告車の前方を鶴岡方面にむけ時速八〇粁以上の高速で通過した二台の普通乗用車を発見したので、これを追跡すべく、被告車が後方約二〇米に接近していた頃、突如高速で右側にとびだし本件県道上に進出し、その中央部を越え左方に大きくわん曲しながら、前記普通乗用車を追跡し始めた。

(ニ) 被告森の過失 このような場合、被告森としては、農家の庭先から突如高速で白バイが飛び出すことを予測できないとはいえ、同被告が被告車のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通および被告車等の状況に応じ他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転していれば、急制動措置も奏功すべく、また少くとも本件事故ほどの多大の被害を惹起することなく、被害程度を比較的軽徴にとどめ得た筈であるというべく、結局同被告は本件事故発生につき安全運転義務違反の過失がある。

(ホ) 訴外矢作の過失 このような場合、訴外矢作は、緊急自動車としての緊急性を表示し、これを他の交通関与者に充分確認しうるような措置をとり、もつてこれらの者に適切かつ安全に避譲させることを要すると共に、交通違反車を右折して追跡する場合には、左側から進来する車両の有無を確認すべき注意義務があるのに、これを怠つた重大過失により、本件事故を惹起したものである。

(三)  被告山形県の地位

(イ)  被告山形県は本件白バイを所有し、これを訴外矢作に運転させ、もつて自己のため本件白バイを運行の用に供する者であるから、自賠法三条により原告らが蒙つた後記人身事故による損害を賠償する責任がある。

(ロ)  また本件事故により原告らの蒙つた損害は、前記のとおり公共団体である被告山形県の公権力の行使にあたる公務員である訴外矢作が、その職務を行なうにつき、重大な過失によつて発生せしめたものであるから、被告山形県は国家賠償法一条一項によりこれが賠償責任を負担すべきである。

(四)  原告らの蒙つた損害

(1)  原告らの地位 (イ)原告加藤行雄、同信恵は、晴由の父母でその相続人であり、他に相続人はなく、(ロ)原告阿部利子は、原告阿部誠の妻である。

(2)  原告加藤行雄、同信恵の損害

(イ) 亡晴由の逸失利益残 七六一万六五四二円

晴由は、本件事故発生当時一四才の健康な男子で、本件事故に遭遇しなければ少くとも満二〇才から満六〇才に至る四〇年間は、毎年四二万五九八九円余の純益(厚生大臣官房調査部編労働統計年報昭和四〇年度賃金構造基本調査報告書による昭和三九年度全産業常用労働者男子一人当り平均月額給与三万五五〇〇円を全就労期間の通算平均収入とし、これから総理府統計局編日本統計年鑑昭和四〇年度勤労世帯(世帯員4.11人)の月間平均消費支出額五万一八五九円の一人分を控除する。(35,500−51859÷4.11)×12=425,989)を得べきところ、これを失つたわけであるから、ホフマン式計算方法に従い年毎に五分の割合による中間利息を控除し、本件事故発生当時における右純益総額の現価を求めると九一一万六五四二円となる。(425,989×23.53374754(年五分の割合による46年間の単利年金現価係数)−425.989×6(年間)9,116,542)。ところが右原告らは、自賠責保険金一五〇万円を受領し、これを右逸失利益に充当したので、逸失利益残は七六一万六五四二円である。

(ロ) 葬儀関係費 二一万九七二八円

石碑・墓地代一五万円、仏壇仏具一式一万一〇〇〇円、盛花三〇〇〇円、霊柩車料二二八〇円、棺代七〇〇〇円、仏事用菓子折一万円、菓子代六六〇〇円、上白代二三〇〇円、レポート用紙ノート代八〇七三円、飲用料・賄器物損料一万九四七五円

(ハ) 慰藉料各二〇〇万円

晴由は、原告行雄・同信恵の一人息子で学業成績もよく、両親の寵愛をうけ幸福な家庭生活に参加していたもので、両人の死亡により右原告両名は、将来の目標を失つて思いである。これら原告の精神的苦痛の慰藉料としては、少くとも各二〇〇万円が相当である。

(3)  原告阿部誠の損害

(イ) 治療費 五四万八八三二円

(ⅰ) 鶴岡市立荘内病院に対する本件事故発生時から昭和四三年一一月七日までに支払つた分二三万六九〇二円

(ⅱ) 都立豊島病院に対する分一三万三四三〇円

(ⅲ) 将来の治療費一〇万一五一〇円

原告阿部誠は、昭和四三年一一月以降現在に至るも前記荘内病院に通院加療中であるが、治療費として月平均四五〇〇円を支出しているところ、右昭和四三年一一月頃から起算してその平均余命三二年間継続して治療をうける必要があるから、ホフマン式計算方法に従い、年五分の割合による中間利息を控除して、事故発生当時における総額の現価を求めると頭書金額になる。

(ⅳ) 入院中付添看護料六万五九〇円

(ⅴ) 豊島病院入院中の交通費一万六四〇〇円

(ロ) 逸失利益残 五一五万四九七一円

同原告は、本件事故発生当時三五才の健康な男子で、訴外鶴岡信用販売協同組合に勤務し、家族手当を含めて年間三四万一五二〇円(月額二万八四六〇円)を得ており、本件事故に遭遇しなければ、少くとも六〇才に達するまでの二五年間は右組合に勤務し、同額の収入をあげ得た筈であり、なお、その真面目な勤務態度から将来の幹部と嘱目されていたところ、前記受傷により欠勤を余儀なくされ、昭和四二年一〇月三一日解雇されるに至つたばかりか、左上下肢軽度運動障害等の後遺症をも遺すに至り、完治の見込は全くなく、終生労働能力を失うに至つた。よつてホフマン式計算方法により年毎に五分の割合による中間利息を控除し、二五年間の収入総額の事故発生当時における現価を求めると、五四四万五二六三円となる。(341,520×15.9442=5,445,263)ところが、昭和四一年八月から三箇月分の給与(八万五三八〇円)およびその後解雇されるまでの一二箇月は、月額給与の六割に相当する休業補償が支給されたので、その合計二九万二九二円を前記逸失利益現価から差し引くと、残金は五一五万四九七一円となる。

(ハ) 慰藉料二〇〇万円

原告阿部誠は、本件事故による受傷のため、職場復帰が不可能になり、今後廃人同様の余生をすごさざるを得ないもので、同原告が蒙り、将来蒙るべき精神的苦痛は甚大であるから、これが慰藉料としては二〇〇万円が相当である。

(ニ) 損害の一部填補

原告阿部誠は、被告車の自賠責保険金二〇〇万円(治療費等の補償五〇万円、後遺症補償費一五〇万円)を受領した。

(4)  原告阿部利子の損害(慰藉料)一〇〇万円

原告阿部誠は、本件事故により終生稼働不能の状態になつたので、原告阿部利子は原告誠と二幼児との生計の資を得なければならないばかりか、原告誠は廃人同様になり、完治の見込は全くなく終生介護を要することとなり、さらに頭部外傷後遺症のため易怒爆発性の発作を伴うに至り、発作による暴行を避け、寒夜戸外の雪中で二幼児と共に発作の鎮静を待つたりすることもあり、心身共に疲れ、悲惨な毎日をおくつているものであつて、原告阿部利子の精神的苦痛も多大であるから、その固有の慰藉料は少くとも一〇〇万円が相当である。

(5)  弁護士費用

被告らは、互にその賠償責任を転嫁回避するので、原告ら代理人弁護士に本訴の提起と追行方とを委任し、各勝訴部分の一割に相当する金銭を成功報酬として支払う旨を約した。

(イ) 原告加藤行雄、同信恵につき各五九万円

(ロ) 原告阿部誠につき六二万円

(ハ) 原告阿部利子につき一〇万円

(五)  よつて被告らに対し、原告加藤行雄、同信恵はそれぞれ前記(2)の(イ)(ロ)の二分の一とおよび(5)の(イ)の合計六四二万八一六五円および内金五九一万八一六五円(弁護士費用を除いた分)に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四一年八月八日から、内金五九万(前記(5)の(イ))に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告阿部誠は前記(3)の(イ)ないし(ハ)の合計から(ニ)を控除し、これに(5)の(ロ)を加えた六八二万三八〇三円および内金六二〇万三八〇三円(弁護士費用を除いた分)に対する右昭和四一年八月八日から、内金六二万円(前記(5)の(ロ))に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで前同率の遅延損害金、原告阿部利子は前記(4)と(5)の(ハ)の合計一一〇万円および内金一〇〇万円(前記(4))に対する右昭和四一年八月八日から、内金一〇万円(前記(5)の(ハ))に対する本件口頭弁論終結の日から各支払ずみに至るまで前同率の遅延損害金の連帯支払を求める。

三、右に対する被告らの答弁および抗弁(特に注記するもののほかは被告らに共通)

(一)  原告ら主張の請求原因(一)は認める。同(二)のうち、(1)、(2)の(イ)は認める。(2)の(ロ)ないし(ホ)のうち、被告森が被告車を運転し、本件県道を大山方面から鶴岡方面にむけて進行していたこと、原告車が被告車に追突され、安丹橋のコンクリート製欄干に衝突したこと、訴外矢作が本件白バイに搭乗運転し、農家の蔭で待機し、速度違反車を取締摘発しようとしていたこと、速度違反の普通乗用車を現認し、これを追跡すべく発進したことはいずれも認める。被告森―被告森が被告車を時速六〇粁位で運転中、先行中の原告車をみとめ、これを追い越そうと考え、被告車の車体の一部を道路の中央部よりも右側にはみ出すような状態で追い越しはじめていたところ、本件白バイが農家の蔭から突如高速で進出してきたため、これを避けようとして左方に転把し、急制動措置を採つたが及ばなかつたことは認める。被告山形県―訴外矢作が山形県警察官で同県警交通機動隊庄内分駐隊に勤務するものであること、被告山形県が地方公共団体であり、訴外矢作がその所属の公務員で本件事故発生時、公権力の行使にあたつていたことは認める。

(二)  原告ら主張の請求原因(四)の(3)の(ニ)は認める。被告山形県―同(四)の(1)(原告らの地位)は不知、同(2)のうち晴由が本件事故発生当時一四才であつたこと、原告らの挙示する各種統計によれば、その主張どおりの平均月額給与、月間平均消費支出額となること、原告加藤行雄・同信恵が自賠責保険金一五〇万円を受領したことは認めるが、その余の事実はいずれも不知。同(3)のうち、原告阿部誠が当時三五才で本件事故により受傷したことは認めるが、その余の事実は不知。同(4)、(5)は不知。

(三)  被告―原告ら主張の請求原因のうち、(3)の(イ)、(5)は不知。その余の事実は否認する。

(四)  被告山形県

(1)  本件事故発生当時、訴外矢作は、交通違反者を現認し、これを制止および捜査する目的で本件白バイを運転していたものであり、いわゆる公権力の行使にあたつていたものであるから、被告山形県に対し自賠法三条所定の責任を問うこと自体失当である。

(2)  訴外矢作の行動と本件事故との間には、相当因果関係がないが、仮りに訴外矢作の行動と本件事故との間に相当因果関係があり、かつ、被告山形県が本件白バイにつき自賠法三条所定の運行供用者にあたるとしても、被告山形県、訴外矢作にはいずれも運行上の過失はなく、本件事故は、専ら被告森の過失によつて発生したものであり、なお本件白バイには構造上の欠陥も機能の障害もなかつたから、被告山形県は賠償責任を負担しない。すなわち、訴外矢作が、本件県道南側端の農家の脇で本件白バイに搭乗し発進準備のうえ待機していたところ、三台の普通乗用車が時速約八〇粁で東(右)方へ通過するのを発見したので左方を望見すると、いずれも東進中の原告車と被告車とを認めたものの、前者は約三五米はなれた道路左端を時速三五粁位で、後者は七〇米位はなれた道路中央部寄りを時速約六五粁で、いずれも格別異常のない走行状態で進行していたため、両車が進来するまえに、自車は優に本件県道上に出、速度違反車両を追跡東進しうるものと考え、直ちに発進し、右折して県道に出、中心部からやや右側を東進し、安丹橋の中央部附近から左方に移行し、この間順次加速し時速約六〇粁に達し、発進時から五秒位経過し、安丹橋東詰から約一二米の地点に到つた際、後方の衝突音を聞き、引返して本件事故発生を知つたものである。かように本件白バイと被告車とは常に充分な距離を存していたものであるが、被告森は、前方注視を怠つたままで高速で道路中央部附近を進行していたので、本件白バイの発見がおくれ、このためと自車も速度を出しすぎていて白バイにとがめられることをおそれたため、狼狽のあまり、本件白バイの進路について判断を誤り、運転技術の未熟もあつて、いわゆる片利きとなるような急制動措置をなし、この間先行する原告車の存在を失念していた重大な過失により、時速四五粁位で原告車に激突したものである。

四、証拠関係<省略>

理由

一、責任原因

(一)  原告ら主張の請求原因(一)および(二)の(1)、(2)の(イ)(死亡・傷害交通事故の発生、事故発生現場の状況、原告車の行動)は、当事者間に争がない。右事実に、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。

(1)  本件事故発生現場およびその附近の状況

本件県道は、西方湯野浜から鶴岡市大山を経、国鉄羽越本線、国道七号線と順次交差し、東方鶴岡旧市内へ山形県北西部の集落を東西に通じる通称鶴岡加茂線で、定期バス路線でもあり、海浜部に通じるところからとりわけ夏季には交通頻繁な主要道路であるが、一部舗装されているにすぎず、歩車道の区別はなく、格別の交通上の規制もなされていない。本件県道を大山方面から鶴岡旧市内に向かうとはじめ砂利道を北東進し、やがて真東方に直線に伸びるアスファルト舗装路にさしかかるが、道路の両側は田畑で、一、二軒の人家が散在しているにすぎず、みとおしはきわめて良好である。舗装部分を約三〇〇米東進すると、千安川に架かる安丹橋があり、橋の手前右(南)側路傍に二軒の農家(西側は斎藤常吉方、東側は佐藤留次郎方)が並んでいる。舗装部分はなお東方に続くが、橋の東方一〇〇米位の地点から、本件県道は右方にゆるやかにわん曲し、ついで左方にわん曲している。前記農家はいずれも生育した杉等常緑樹によつて囲まれているものの、比較的手入れがよく、本件県道に面する北側では、地上一米余の高さから僅かに道路にはみ出しているだけなので、本件県道の交通者のみとおしを妨げるものではない。両家の境界には、幅2.8米の門道が設けられ、本件事故発生当時は路面に土が露出し、中央部に比して両側端部がやや高く、北端は側溝に通じ、側溝にかけられた橋は、本件県道の路面にくらべるとやや低く段落状をなしているところから、車輛を運転して門道から側溝を経て県道に進出する場合には、やや円滑さを欠くこととなり、また県道に進出する際、斜行すればする程、スリップのおそれがある。門道内からは、本件県道の東西を望見するに由なく、その北端に進出するとき、はじめて左右をみとおすことができるが、その場合には県道の交通者からもまた門道の望見者を容易に発見しうる状況にある。二輪車に搭乗しながら県道の東西をかなり遠くまでみとおそうとする場合には、搭乗者において、体を前屈し、首をつき出し、県道の交通者の視野への露出部分を可及的小範囲にとどめうる姿勢をとつても、前輪は既に少くとも側溝附近に位置せざるを得ないので、車体の前半部を県道の交通者の視野にさらすこととなる。本件事故発生現場附近では、県道の舗装部分の幅は約6.15米で、両側には砂利敷部分があるものの、該部分は狭く、かつ、雑草が繁茂しており本件県道の路肩状をなしているため、本件県道の有効幅員は舗装部分のそれに等しい。舗装部分は中央部に白色の中心線が設けられ、僅かに中高のかまぼこ状をなしているが、平坦で、路面状況はきわめて良好であり、大山方面から東進する車輛の運転者が、舗装部分にさしかかり進路前方を望見するときは、広濶感を覚え、砂利道での遅れを回復すべき心理にもなるような良好な道路状況である。

(2)  各車輛の状況および各運転者の運転歴、運転技術等主体的条件

(イ) 原告車は、二輪車としては比較的安定度の秀れたホンダベンリー号一二五ccで、逆L字状に曲折したハンドルの中間に、それぞれ腕木状の金具がとりつけられ、その先端に大型の後写鏡が装着されており、後部の乗員設備は、低い背あてと把握用の金属パイプ等からなつており、本件事故発生当時、構造上の欠陥も機能上の障害もなかつた。原告阿部誠は、運転免許証取得以来これまでに三回位免許証の更新をし、この間通勤用等に自動二輪車を常用していたもので、運転技術は巧みであり、慎重な性格から運転態度も比較的慎重であつた。

(ロ) 被告車は、ベレット一五〇〇ccの普通乗用車(車長約四米、車幅約1.5米、ホイル2.4米)で、制動装置を操作すると、後尾灯が自動的に点灯する装置を備え、本件事故発生当時、整備もよく、フートブレーキのあそびもまず適度で、トランクに商品の洋服を積んでいたものの、運転に影響を及ぼすほどの重さではなく、その他に構造上の欠陥、機能の障害の存在を窺知しうる徴候はなかつた。被告森は昭和四〇年三月頃普通免許を取得し二トン車による長距離輸送等の業務に従事したこともあり、本件事故発生当時の一箇月位前から知人の訴外大内から日割賃料を払つて被告車を賃借し、これを運転して各地を訪れ洋服の販売業を営んでいたもので、免許取得後の期間は必ずしも長くはなかつたが、運転経験はかなり豊富であり、被告車にも馴れていた。しかし、かつてバイクを運転中、接触事故を惹起したこともあり、速度違反を犯して検挙されたこともあつて、その運転態度は、やや慎重さを欠いていた。

(ハ) 本件白バイは、排気量四九六ccで、高速走行時における左右の安定を充分に確保するためもあつて、重く、一般の二輪車に比し長く、運転者が搭乗し片足を着地した姿勢を側方からみると、車体前半部が、後半部よりも大きくなり、とりわけ前輪が斜めに突き出したような状況を呈し、携行して取り扱うには、やや円滑さを欠く。しかし乾燥路面では発進後時速約六〇粁に達するには、四、五秒を要するにすぎないし、ローギャーでも時速五、六〇粁に達しうるし、速度違反車を追跡して時速一二〇粁程度の高速で走行することも稀ではないほど高性能であるが、発進加速の際の機関音はかなり大きく、短時分で加速する場合、搭乗者において身体を適度に左右に傾斜して安定を保つとともに、ハンドルもまた交互に左右に切りかえざるを得ない車体構造であるため、側方から発進し、左右いずれかに進路をかえながら、急に加速し続ける場合には、四囲を震駭させるような爆発音をあげながら、かなり大きく蛇行する結果を免れない。車体は、殆んど全面を鮮やかな白色に塗られており、緊急車輛であることを示す赤色ランプが設けられているが、該ランプを点灯していても、側方から遠望することは困難である。本件事故発生当時、本件白バイには構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。訴外矢作は、昭和三四年四月頃山形県警に奉職し、翌年四月から酒田警察署に勤務し、昭和三九年四月いわゆる交通機動隊に配属され、同年一二月頃から庄内分駐隊に所属し、機動力による主要幹線道路の交通取締に従事してきたものであるが、昭和三五年大型運転免許をうけ、昭和三七年六月自動二輪車運転免許を取得し、その頃から白バイを運転してする交通取締を命ぜられ、現在に至つたものである。また同人は、かなり高度の運転技術を修めており、被告山形県が昭和四〇年一〇月頃本件白バイを購入して以来、自己の専用車として使用し続けていたもので、充分に本件白バイに馴れ、そのくせ等もよく知つていた。

(3)  関係車輛の各行動

(イ) 原告車等の行動  原告阿部誠は、本件事故発生当日の昼頃、甥の晴由を伴い、職場の同僚訴外富樫忠士と連れだち、加茂海水浴場へ出かけ、午後二時頃から二時間位海に入つたのち、大山所在の原告利子のおじ方に立ち寄つたうえ、帰途につき原告車を運転し、後部座席に晴由を同乗させ、本件県道を東進し、舗装部分にさしかかつてからは、時速三四、五粁の安定した速度で、道路左側端から数一〇糎の余地を残しながら直進していたものであるが、その頃対向車は全くなかつたし、快晴で風もなく、日没には間があり、殆んど真昼の明かるさに近かつた。前記富樫は、五五ccの中古原動機付自転車を運転し、大山からは原告車の後方をほぼ一定の間隔を保ち、約四粁の間原告車を見失うことなく追従していたところ、本件事故発生現場の西方約二〇〇米の地点で、時速八〇粁位で東進する三台の乗用車に追い抜かれ、さらに一〇〇米余東進した地点附近で、時速七〇粁位で、中心線をまたぐようにして進行する被告車に追い抜かれたが、そのまま進行を続けるうち、被告車が急に左方に進路をかえるのを目撃し、まもなく衝突音を聞いたので、安丹橋を渡り切つた地点附近まで東進して停車し、引き返し転倒している原告阿部を救護しようとしていた。なお同人の注意力の配分は、必ずしも適切ではなく、ある事象に注意力を集中しすぎ、その周辺の事象にさえ注意力を適切には配分できないような性向が窺知される。

(ロ) 被告車等の行動  被告森は、三日前頃から東北地方に来り、仲間五人と四台の乗用車を使用して洋服の戸別販売を始めていたもので、前日は山形市内に泊り、事故発生当日午前九時頃同市を出発し、直行して昼頃湯野浜に着き、同地で夕方まで販売し、落合う先を鶴岡駅と申しあわせただけで、午後五時頃出発し、途中おもいおもいに商売をしたが、本件県道の舗装部分の始点附近で、他の三台と偶然会つたものの、他の三台は時速八〇粁位で東進したので、次第におくれたが、対向車はなく、先行するのは原告車と富樫の運転する車輛だけであつたので、時速約七〇粁で中心線をまたぐように進路をとり、まず前記のとおり富樫の運転する車を追い抜き、ついで原告車をも追い抜くつもりで進路も車速もかえないで進行するうち、前記門道の西方二七米位の地点に達したとき、本件白バイを発見しそれが門道から本件県道へと直角に高速で進出するように思われたので、とつさに危険を覚え、あわてて急ブレーキを踏み左へ転把したが、高速であつたため、制動効果を生じ、現実に左方に進路を換えはじめるまでにかなり直進し続ける結果となり、しかもブレーキはいわゆる片利き状態となり、結局、制動効果は、門道出口附近から始めて実効し(右車輪のスリップ痕は道路左側端から3.2米位の地点に始まり約8.7米をしるし、左車輪のそれは11.8米に達する)、転把効果は、門道を通過した地点附近からようやく生じたものの、この間狼狽のあまり原告車が道路左側部分を先行することを全く失念し、左方に斜行中、安丹橋の手前一〇米位の地点で、原告車に激しく追突し、その衝撃でこれを西橋詰北側の欄干に衝突させ、さらに横転した原告車を一三米位東方に滑走させ、自車は、原告車から落下した晴由を欄干との間に挾んだまま停止した。なお被告森も胸部・口腔・足部に打撲傷等を受けた。

(ハ) 本件白バイの行動  本件事故発生当日の訴外矢作の勤務時間は、午後二時から午後一〇時半までであつたので、同人は午後一時半頃出勤し、仕業点検のうえ午後二時から本件県道上の交通取締の勤務についたものであるが、その方法は、一、二箇月前から選定利用していた前記門道奥に独り待機していて、交通違反車が通過するや、これを追跡し、警告を与え、事案によつては検挙するもので、当日は本件事故発生までに、五、六回追跡し、一件検挙していたものであるところ、本件事故発生の直前、大山方面から進来する車輛の機関音の大きさから、数台の車輛がかなり高速で東進中であると考え、本件白バイに跨がり始動を開始して待機するうち、数台の車輛が時速六〇粁位で通過し、ついでこれらを追い越すような状況で、次々と三台の乗用車が道路右側部分を走り去つたので、これを追跡すべく、発進し、門道北端附近で、車首を右にむけたまま片足を地について停車し左右をべつ見したところ、前記三台の車輛のうち最後尾車は、八〇米位先を東進しており、大山方面からは三五米位の地点に原告車、七〇米位の地点の道路中央部に被告車がそれぞれ進来しており、被告車はかなり高速であることを看取したものの、本件白バイを短時分内に加速するつもりでその進来前に、自車は県道に進出し、余裕を保つて先行しうるものと、とつさに判断し、直ちに発進し、零から加速し、安丹橋(門道から西橋詰まで約一八米を通過するまでに約三秒間を費して時速四、五〇粁程度に達し、さらに加速しながらその東方一〇余米の地点で発進後四、五秒間経過した頃、衝突音を聞いたので、そこから一五米位東進した地点の道路左側端に本件白バイを停車し、徒歩で引き返してきた。本件白バイの進路は、車首をやや右斜にむけて発進したものの、矢作において短時分に加速するつもりであつたため、まず県道の中心線附近にまで斜めに進出し、ついで右方に転じ、道路右側部分の中央部附近に進路をとり、安丹橋を渡り切る頃からさらにゆるやかに左方に進路をかえたものであつて、発進と加速による爆発音はかなり大きかつた。なお発進の際赤色ランプを点灯し、右折合図灯を点滅していたが、サイレンは吹鳴しなかつたし、訴外矢作には、被告車を含む後続車が制限速度内で進来するものと予期期待する想念もあつて、発進後は、後続車の状況につき全く配意していなかつたし同人は当時行政および司法の両警察活動を行なうものと思惟しながら、門道内で隠れて待機することは、「白バイはどこにいるか判らない」という観念を交通者に与える点で、警告的機能を果すものと考えていた。<証拠判断略>

(4)  右各事実を基礎として、被告らの過失の有無を検討する。

(イ) 被告森の過失  まず本件県道の舗装部分にさしかかつた際、進路前方の道路右側端に人家があつて、その家囲内はもちろん門道の状況も相互に判明しないのに、対向車はなく、交通も比較的閑散な夕方であるから、該人家の住人、とりわけ児童等が突如不用意に本件県道上へ進出することを予期すべく、その場合、門道北端と道路中心線との間隔は、僅か三米余にすぎず時速七〇粁程度では制動効果を生ずるまでにかなり空走距離を費やすため、進出者との接触等を確実に回避しうるような転把操作および制動措置を必ずしも保し難く(なお進出するものが、犬猫等の家畜である場合にも、この理は同じ)、一応転把操作により進出者との事故発生を回避しえても、左前方を先行する原告車に側面または後方から衝突し、もしくは異常接近または側方通過により原告車に運転操作を誤まらせ、よつて事故を発生させるおそれがあり、しかも高速走行時に転把操作と急制動措置を併用するときは、往々ブレーキの片利き状態を招き、制動効果は減殺され、ハンドル操作も不安定になるので、事故発生の危険度を高めるのであるから、このような場合自動車運転者は、前方を注視し、先行する原告車の動静に充分配意すると共に、門道附近にも注意力を配分し、その近傍からの進出者を早期に発見すべく、門道附近においては、先行車と併進する状態になることをさけ、またはこれを追い抜くことを避け、道路左側部分を安全な速度と方法で進行し、もつて事故の発生を未然に防避すべき注意義務があるのに、被告森はこれを怠り、至近距離に達するまで門道附近の状況に注意力を配分せず、漫然時速約七〇粁の高速で、道路中心線をまたぐようにして原告車をも追い抜こうとした過失により、本件事故を惹起したものである。

(ロ)  訴外矢作の過失  同人は、速度違反の三台の乗用車が門道前を通過後、追跡のための発進に先だち、左方の交通状況を確認した際、左方七〇米位の地点の道路中央部をかなりの高速で東進中の被告車を発見したのであるから、このような場合自動車運転者としては自車において短時分内に加速するつもりでも、門道から本件県道上に進出するには、門道北端と側溝上の橋と県道とは段落をなし、車輪の通過に多少円滑さを欠くため、被告車が著しく高速のまま同一進路を進来するときには、接触等のおそれがあるばかりか、短時分内に加速し続けて高速に達しようとすると、相当大きな爆発音をたて、かつ蛇行状態を呈する結果、進来する被告車の運転者において驚愕と狼狽のあまり専ら自己保全の衝動にかられ、周辺の交通環境に対する配意をも失い、接触等を回避することにのみ専念し、ハンドル操作または諸装置の取扱を誤まり、原告車等他の車輛に衝突し、もしくはこれらに危害を及ぼすような異常走行をなすにいたるものであり、しかもこのような場合高速度であれば、空走距離も延びるものであることに想到し、彼我の間隔および相互の進路ならびに被告車の速度と自車の加速度を充分に計り、直接接触の危険または被告車の異常走行による原告車等に対する危険の発生がある場合には、短時分内の連続加速をやめるか、もしくは被告車が自車を発見し、安全な速度と方法で走行し始めるのを確認するか、またはその通過後に発進し、これに異常走行をさせないような速度と方法で接近し、その側方を通過する等、事故の発生を防止すべき注意義務があるにも拘らず、これを怠り、被告車の速度を充分に計らず、短時分内加速の及ぼす影響および被告車の空走距離がかなり延伸することに想到しないで、自車が進出すれば、被告車は直ちに制限速度内に減速すべきであり、かつ減速しうるのと軽卒にも期待判断し、前記のとおり短時分内に連続加速した過失により、被告車の運転を誤まらせ、これを原告車に追突させ、本件事故を惹起したものである。なお訴外矢作は、農家の蔭に隠れて待機することは、交通者に警告を与える機能がある旨自陳するところ、警察活動の一面が犯罪の予防にある点では、右の如き警告的機能の意義も無視できないが、交通警察活動の一つの目的が、危険防止にあることもまた多言を要すまでもないから、一般の交通関与者はもとより、警察義務者に対しても、本件の如き、明白かつさし迫つた危険を招来するが如き方法で、その活動をなすことは、到底許されない。(本件の如き道路交通状況下で、速度違反者等に対し、予防警察の実をあげるためには、取締当局において右状況に即応した工夫をなすべく、例えば複数の取締官による定域測定方法等によるべきである。)

(ニ)  被告山形県の地位

訴外矢作が山形県警察官で、同県警交通機動隊庄内分駐隊に勤務するものであること、被告山形県が地方公共団体であり、訴外矢作がその所属の公務員で、本件事故発生時公権力の行使にあたつていたことは、原告らと被告山形県との間には争いがない。そして同被告が本件白バイを所有しこれを自己のため運行の用に供する者であることは弁論の全趣旨によつてこれを認める。

叙上事実によると、被告山形県は、自賠法三条所定の運行供用者として、また国家賠償法一条一項所定の地方公共団体として、原告らの蒙つた後記損害の賠償責任がある。同被告は、自動車の運行によつて他人の生命または身体を害したときでも、その運行が公権力の行使にあたる場合には、運行供用者に自賠法三条所定の責任を問うこと自体失当である旨主張するが、憲法一七条および国家賠償法一条一項の法意ならびに自賠法制定の経過と趣旨を併考すると右主張は独自の見解であつて採るを得ない。

二、損害

(一)  <証拠>によると原告加藤信恵(大正一五年三月一三日生)は、訴外阿部友五郎・豊の次女で、昭和二四年原告行雄(大正一〇年一〇月二八日生)と婚姻し、長男亡晴由(昭和二七年七月一〇日生)のほか二女をあげていたもので、原告らは晴由の相続人であり、他に相続人はないこと、原告阿部誠は、友五郎・豊の間の四男として昭和六年四月二三日生まれ、昭和三二年六月原告利子(昭和六年三月一三日生)と婚姻し、二女を儲けていることがそれぞれ認められる。

(二)  原告加藤行雄・同信恵の損害

(1)  亡晴由の逸失利益残二四三万円

<証拠>によれば、亡晴由は本件事故発生当時、一四才の健康な男子中学生であつて、本件事故に遭遇しなければ、順調に中学を卒業し、高校に進学し、これを卒業して、少くとも二〇才から六〇才に至るまでの四〇年間は、就労稼働し、その生活費をまかなつて余りある収入をあげ得たものと認められるところ、その純益は通じて年間二一万三六〇〇円(月間一万七八〇〇円、粗収入額は原告ら主張の月額三万五五〇〇円程度とし、生活費はその概五割にあたる一万七七〇〇円と推定)と推認されるから、ホフマン式計算方法に従い、年毎に五分の割合による中間利息を控除し、本件事故発生当時における純益総額の現価は概ね三九三万円となる(万円未満切捨。213,600円×(年5分の割合による46年間の単利年金現価係数―同割合による6年間の該係数)≒3,930,240円)。

ところが原告加藤行雄、同信恵らが自賠責保険金一五〇万円を受領し、これを逸失利益にかかる損害賠償債権に充当したことは、その自陳するところであるから、これを控除すると、残金は二四三万円となる。

(2)  葬儀関係費二〇万円

<証拠>によると、原告加藤行雄、同信恵は、亡晴由の葬儀関係費用として、請求原因(四)の(2)の(ロ)主張の費目と数額どおりの支出をなしたことが認められるが、亡晴由の年令、境遇、家族構成等諸般の事情を併考し、社会習俗上必要かつ相当な葬儀関係費用としては、そのうち二〇万円であると解する。

(3)  慰謝料各一六〇万円

<証拠>によると晴由は原告行雄、同信恵間の一人息子であつて、順調に成育をとげ、事故発生当時きわめて健康で学業成績もよい中学生で、家庭では父母、姉妹と共に幸福な生活を営んでおり、右原告らがその将来に寄せる期待も多大であつて、同人の死亡により原告らが甚大な精神的苦痛を蒙つたものと推認されるから、その他諸般の事情を考慮し、これが慰謝料としては、各一六〇万円とするのが相当である。

(三)  原告阿部誠の損害

(1)  受傷の部位・程度および加療の経過ならびに後遺症

<証拠>を総合すると、原告阿部誠は、定時制高校卒業後、昭和二八年一月から協同組合サービス店会に勤務し、その後鶴岡市信用販売協同組合に勤務し、本件事故発生当時は、家族手当を含め月額二万八四六〇円の収入を得ており、普通の健康体で、家庭には妻原告利子と二女を擁し、優に普通級の知能を有し、慎重かつ温和な性格であつたところ、本件事故により、下肢および頭部を強打し、意識を失つたまま、直ちに荘内病院に収容され、診断の結果、頭頂部・後頭部陥没骨折による硬膜外血腫を蒙つているものと判明し、同年一〇月二〇日頃まで同病院において入院加療したこと、意識喪失状態は約一週間継続し、自ら発語するようになつたのは、事故後約一箇月半を経過してからであり、その後さらに約半月間後から自ら食べるようになつたもので、退院時頃に至つておきあがれるようになつたこと、その頃外傷はとみに快方にむかつていたので、入院による不断の診療を必要とはしなくなつたものの、頭部外傷後遺症によるコルサコフ症候群の症状を呈しはじめていたこと、退院後昭和四二年三月頃までは、折柄寒冷季にあたつていたためもあり、自宅で臥床し、安静療養に努め、時々荘内病院から薬物の投与をうけていたこと、昭和四二年夏頃に至り左上下肢に軽度の運動障害を留めるも、独力で歩行でき、身体的には日常の自用を弁ずることができるまでに回復したが、精神面の障害は著しく、顕著な記銘力障害を主因とする健忘症候群、積極性減弱、抑制欠如、易怒爆発性、思考・行動の幼稚化、遅鈍化などの著明な人格変化があらわれ、常時家人による厳重な監督と生活指導ならびに向精神薬の投与が必要なものと診断されたところ、家人の監督と指導に従わないばかりか、指示をうけるや、原告利子ら家人を殴打し、物を投げつけ、子女にさえも暴行を加え、しかも自己の言動を記銘し、自省することが殆んどできなくなつたので、家人は難をおそれ、その言動の赴くままに放置せざるを得ない状態になつたこと、これら人格の荒廃化を憂慮した原告利子、同行雄および実兄阿部欽二らは、大病院における診療に期待し、同年一一月頃から原告行雄宅に仮寓させ都立豊島病院の診療をうけさせ、昭和四三年二月頃から同病院に入院させ、陥没部の頭蓋形成手術等をうけさせたが、人格変化には殆んど改善するところなく、同年三月中旬現在においても右人格変化は存続し、その後現在に至るまで、毎月少くとも一回程度、荘内病院を訪れ、向精神薬の投与をうけているもの(健保適用により月一七〇〇円位の自己負担額)であるが、その状態は終生持続すべく、生涯にわたり稼働は困難であること、復職の見込がないため、昭和四二年一〇月末日前記勤先を解雇されたので、原告利子は、家賃収入とあらたに開始した小鳥商の収入により親子四名の生計を維持せざるをえないが、原告誠は、小鳥商を全く手伝わず、家庭生活における役割を全く果していないが、役割の自覚自体きわめて薄い精神状況にあることが認められる。

(2)  治療関係費用 五四万八八三二円

<証拠>を総合すると、原告阿部誠は、その主張(請求原因(四)の(3)の(イ))どおり、少くとも合計五四万八八三二円に達する治療関係費用を支出し、または将来にわたつて支出すべく、よつて同額の損害をうけたことは明らかである。

(3)  逸失利益残 五一四万九八〇八円

前記(1)認定の事実に弁論の全趣旨を総合すると、原告誠は本件事故発生当時、三五才の健康な男子で、前記組合に稼働し、少くとも年間三四万一五二〇円の収入を得ていたもので、六〇才に達するまでの二五年間右組合に勤務し同額の収入をあげえたものと推認されるところ、本件受傷により、完全に労働能力を失い、これによる収入もすべて失うに至つたものであるから、ホフマン式計算方法に従い、年毎に五分の割合による中間利息を控除し、二五年間の収入総額の事故発生当時における現価は五四四万円(万円未満切捨)となるべく、昭和四一年八月ないし一〇月分の給与全額と同年一一月から昭和四二年一〇月末までの一二箇月分の給与についてはその六割相当額との合計二九万二九二円の支給をうけたことは、同原告の自陳するところであるから、これを控除すると逸失利益残は五一四万九八〇八円となる。

(4)  慰謝料 二〇〇万円

叙上事実によると原告阿部誠の蒙り、将来蒙るべき精神的苦痛は甚大であると推認されるから、これが慰謝料としては二〇〇万円が相当である。

(5)  損害の一部填補

原告阿部誠が自賠責保険金二〇〇万円を受領したことは当事者間に争がないから、以上損害額からこれを差し引くと残金は五六九万八六四〇円となる。

(四)  原告阿部利子の損害 三〇万円

前記(三)の(1)認定のとおり、著しい精神障害を遺し、知能の低下と高等感情の鈍痳を伴う人格の変化を招来した原告誠を原告利子は終生伴侶として介助することを余儀なくされたもので、その苦痛は、その死亡の場合に比肩すべきものと推認されるから、本件にあつては原告利子に傷害を蒙つた近親者固有の慰謝料請求権が発生するものと解すべく、その額は前示誠の逸失利益、慰謝料額等諸般の事情を考慮して三〇万円を相当とする。

(五)  弁護士費用

原告加藤行雄本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、被告らは互にその賠償責任を他に転嫁するので、原告らは本訴原告ら代理人に対し、本訴の提起と追行方とを委任し、その報酬として勝訴金額の一割にあたる金額を支払うことを約したことが認められるところ、本件事案の難易、審理の経過、前記認容額等を併考すると、そのうち本件事故と相当因果関係にたつ損害は、(イ)原告行雄、同信恵につき各二三万円、(ロ)原告阿部誠につき四五万円、(ハ)原告阿部利子につき三万円であると解する。

三、よつて被告らは連帯して、原告加藤行雄、同信恵に対し、各前記(二)の(1)(2)の二分の一と(3)および(五)の(イ)の合計三一四万五〇〇〇円および内金二九一万五〇〇〇円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四一年八月八日から、内金二三万円に対する本件口頭弁論終結の日であること記録上明らかな昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告阿部誠に対し前記(三)の(5)と(五)の(ロ)の合計六一四万八六四〇円および内金五六九万八六四〇円に対する昭和四一年八月八日から、内金四五万円に対する右昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで右同率の遅延損害金、原告阿部利子に対し前記(四)と(五)の(ハ)の合計三三万円および内金三〇万円に対する昭和四一年八月八日から、内金三万円に対する右昭和四四年三月三日から各支払ずみに至るまで右同率の遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求は右限度で正当として認容し、その余は失当であるから各棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(薦田茂正)

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